消耗品としての身体
健康寿命
先日参加した、丸亀ハーフマラソンのある記事が目に留まりました。
日本人で最も注目されていた、大迫選手のシューズに関するものです。
地面の反発が強ければ強いほど、大きな推進力を生じるため
ソールは薄いものを選ぶ傾向にあります。
しかし、今回大迫選手が使用したのは
ソールが今までのものと比べて厚いものだったという記事。
強い反発力は頻回に及ぶと当然身体へのダメージも大きくなります。
スピードを殺さず、かつダメージを小さくするシューズ選びは
世界のトップ選手に至っては必須になってきているようです。
選手生命は長いほど良い!?
というより、いつ競技に終止符を打つのか
そんなことを初めから決めている選手はいないと思います。
良い状態を作るために日々努力しているわけですから
良い状態が長く続くことが恐らく理想的な形だろうと考えます。
そこからの発想が、肉体の消耗で
MLBのピッチャーは投球数に早くから制限を設けているし
考え方によっては、NFLの選手交代が無制限なのもこの反映と言えます。
人は死に方を選べません。消耗の先に死があります。
スポーツの世界の身体ダメージを小さくする考え方は
実生活においても共通です。
一歩、一球による、ごく僅かのダメージの差が
選手生命を左右するのであれば
一歩、一球に注意を払わなければいけません。
また、あえて消耗の方向へ導くことや
その代償を無闇に医療に依存するのも賢明とは思えません。
食事・睡眠・運動の健康基盤の上に
鍼灸は消耗した身体に貢献できると考えます。