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在るというゾーン

プライベート

子どもたちは夏休みに入り、中学校総体各種目が連日行われています。

バスケ部中3我が子も昨日準々決勝に臨みましたが
残念ながら敗戦し、長く短い2年4か月の中学部活動の引退を迎えました。

思春期特有の観戦NGも、最後は解禁され堂々とその雄姿を観せてもらいました。

堂々と、というようにこっそり眺めたことはありましたが
心理学でいうフロー、いわゆるゾーンと思える内容を観れたのは初めてでした。

これで負けると終わり、という精神状態は相手チームも同じで
周りで観戦する人たち全てがヒリヒリする緊張感を作り出していたことは
その大きな要因だと思います。

ゾーンに自ら入ることはとても難しいとされます。

それは何をどうするという思考行動の集中状態をさらに上回る夢中状態だからです。

集中を極めてゾーンに入るということを多くは求めますが
周囲環境がそうさせるということもあるならば
結局、ぼーっとその場に在ることができればそれがゾーンで
集中とは対極なのかもしれないと感じました。

全てを忘れて試合に集中する姿に集中する
観戦する自分もまたゾーンに入っていたということです。

ワクチン2回目接種

プライベート

本日、新型コロナウイルスワクチン
2回目接種を受けました。

メディア報道を見ていて何となく気付いたのですが
1年数か月前、新型コロナウイルスの終焉を表すシュウソクは
"終息"がほとんどでしたが、現在ほとんどが"収束"になったように思います。

未知のウイルスが完全に無くなる期待を抱き
当初"終息"の表現を使っていたのでしょうが
形を変え続ける柔軟な存命に、人類が着地点を変えた結果の"収束"です。

そして、現在確かな収束への道はワクチン接種のみなので
2回接種できたということは、一仕事を終えたに等しいと感じます。

少なからず日々接触する方々への安心材料になります。

副反応が指摘される2回目ですが、約6時間経過した今
インフルエンザワクチン接種同等の1回目とほぼ同じ感覚です。

1日も早い収束を願うばかりです。

新型コロナワクチン1回目接種

プライベート

本日、お世話になっている介護施設のご厚意で
高齢者施設等従事者ワクチン優先接種を受けました。

スピードアップしているとはいえ、全体の進行から見てもかなり先行ですし
このタイミングで接種していただけるのはとても有難く
弊院ご利用の方々にも安心していただけると思います。

気になる接種後の症状は、メディアの情報や事前説明にあった
局所筋肉痛程度で、個人的にはインフルエンザのワクチン接種同等と感じます。

これまでのワクチン開発に要する時間を考えると
1/10以下という驚異的な早さで実用化されているわけですが
見切り発車的な心象がある一方で医療の著しい発展も感じます。

一線で尽力される研究者の試行錯誤をよそに
普段、我々はその成果である医療を何の疑いもなく消費しているわけですが
今回、早い実用化であるが故、副反応に過敏です。

私自身、接種後些細な身体の感覚に意識が行き
注視しなければ絶対感じない変化と、注意事項に謳われた内容を
擦り合わせる作業を行ってしまいました。

ある生理的な興奮に関する認知機能の実験で
生理的興奮そのものが情動経験のための必要条件ではなくて
生理的興奮の自己認識が必要条件であるということがわかっています。

つまり、生理的興奮を感覚的な副反応に置き換えると
痛みや不快症状を自分の心が作ってしまうことがあるということです。

未知や未経験という不安な情動が
起こっていない身体感覚を作ろうとしていたのかもしれない
ということです。

ヒトの心と身体はゴム手袋でウナギをつかむようなもの
簡単に思えて実はつかみきれない。。

我ながらビビり認定です。。

 

全力

プライベート

週末、娘の通う小学校の運動会がありました。

新型コロナウイルス感染防止のため入場は演者父兄のみの入れ替えで
盛大とは言えませんでしたが、限られた環境で練習してきた様子が伝わり
時間を割いて良かったです。

とても短い時間でしたが、娘は全力でした。
だから帰宅後も満足気でした。

スポーツ観戦然り、何かを見て感動したり清々しい気持ちになるのは
省みたり嘘のない一生懸命をそこに感じるからだと思います。

大人になると、先が読めるようになり、疲れを残すかもしれないと思うと
日常で全力を出すということが限りなくゼロに近くなると思います。

例えば届きそうで届かない鉄棒が公園にあったとして
飛びつく以前に、行為と自分の利害を考えてしまい
ほとんどの大人は飛びつかないと思います。

仮に、トライしても1,2回で届かないとわかれば
止めてしまうのが関の山でしょう。

子どもはそもそも先を読むことが少ないので
何度でもトライするしすぐに全力を出します。

全力はスケールの長さだと思っていて
垂直跳びの最高到達点までの距離のようなイメージです。

普段から全力を出す機会を設けなければ
最高到達点は間違いなく下がります。

体力が衰える大人になればそのスピードに拍車がかかります。

運動に限らず私は思考も同じだと思っていて
答えのない一つの問題は掘り下げるほどに正解に間違いなく近付くし
思考の全力は高まると思っています。

大抵同じ解釈、大抵自分に都合の良いところまでで掘り下げは終わっていて
もう少し進めば解決や新しい発見に至る問題も途中で諦めていることが殆どだと思います。

結局、徐々にスケールは短くなっていき
気が付くと些細なことが一つの引き出しでしか処理できなくなってしまうのです。

リスクを考える前にやってしまえ
と自分に言う私こそその気質を持つと自戒するので
些細なことから全力を出すことを試みています。

大人はやるぞ!と意を決さなければ全力を出せません。

まずは届くはずのない天井に全力で手を伸ばしてみてください。
案外爽快です。


プライベート

40数年生きていますが、新型コロナウイルスの脅威で
越冬から爽やかな季節に至る今、味わったことのない初めての感覚で
新年度を迎えようとしています。

医療やテクノロジーの発展で死を日常で意識することが軽薄になっているので
新型コロナは死を身近に感じさせるとともに、生の価値も考えさせます。

我が家は新型コロナが無くても、子どもの卒業卒園で
変化を強いられる節目の時で、将来記憶に強く残ること必至です。

仕事やスポーツで、ある目標の結果が出たとき
上手くいったときの喜び、ダメだったときの悔しさは、目標に向けての自制や
払った犠牲などがその大きさに反映されると思っています。

つまり、今、は思い描く目標から逆算できるので、目標達成への意思が行動に移ると言えます。

育児において、それぞれの過程を終えるとき、親としてどんな感情になるのだろう。。
と少し前から考えていましたが、想像できませんでした。

それは、教育過程の節目は自分がどうあろうと定期的に必ずやってくるし
大きな変化は強いられても、そこが目標とはならないからです。

2人で11年続いた保育園生活がこの度終わりました。すごく寂しい感情が湧きました。

ということは、それだけ子どもや先生、保護者と
考え、真剣に関わってきたのだと思います。
逆算できなかった過去に対する充実がありました。

先だった目標があろうがなかろうが
自分の中の問題を提起し改善や克服に努めることを積めば
節目が訪れても充実を感じることができるのだと思います。

 

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