おもてなしの意味
ライフスタイル
日曜日第1回目の岡山マラソンが盛況に終わった。
レース後のケアに来院された方々は当時の状況を話されたり
完走者に与えられる備前焼のメダルを誇らしげに見せてくれる方もあった。
今までランナーとして参加するばかりの市民マラソンだったが
今回初めて沿道に出てランナーの応援をした。
1万4千人全てを見届けるのに3時間を要し
走るのもつらいが同じ場に立ち続け声を出し続けるのもつらいことを知った。
しかし沿道には大勢応援の人がいて
新聞にあったようにランナーの最も高い評価がこの沿道の人たちで
最初から最後まで前を通るランナーに懸命に声を出して発破をかけていた。
これは正直想定外で社会一般で言われる岡山人が消極的な県民性であることを信用し
何となく肌で感じていた私は良い方向で驚いたし
新聞で評価される前にこの結果は想像できた。
市民マラソンは斜に捉えると地方経済の活性化だが
現地であの臨場感のなかゴールへ向かう無垢なエネルギーを浴びると
現実的な経済効果とか損得勘定ではなく
純粋に岡山の地へ走るために出向いたくださった方々に感謝の念が込み上げてきた。
オリンピックの東京招致の際、流行語になった“おもてなし”は
いかに日本人が互いに助けあい、迎える来客のことを大切にするかを示すそうだが
私は何かへりくだった表現の中に媚を売る、胡麻を擦るといった感覚をもつ。
しかし誰かのために一所懸命に何かを提供した結果“おもてなし”は
自分の気付かなかったことの発見に変わるのかもしれない。