自己解釈への疑問
ライフスタイル
私は暑いよりも寒いほうが好きで、やっと冬らしくなったと感じている。
勝手な思い込みかもしれないが、人は寒いと早く帰宅したくなるようで
夜の道でいつもより車や人通りが少なく感じると一層寒さを実感する。
寒いという表現も、私のようにそれを好む人とそうではない人がいる訳だが
同じ表現を違って解釈するということは日常で結構あると思う。
それは、自分の興味であったり好みであったり知識を持ち得ていたり
解釈は多かれ少なかれそういった方向に導かれる傾向にあって
その濃度が濃いほど、他と違った方向に向いてしまうのではないかと思う。
沖縄の人の寒いは北海道の人は暖かいかもしれないということだ。
解釈には色んな見解があって良いと思う。
ただ人に何かを伝えたいとき、思った解釈をしてもらえないととても残念だ。
私は色んな表現をして伝えてもこちらの思う理解に至らないとき
そのことに疑問をもったら尋ねて欲しいという気持ちをもって一線を引く。
逆に自分が他者の思う理解に至らないことも必ずあると思う。
予防策は常に自分の意見、見解、解釈に疑問を持つことではないかと思う。
そうすればある表現が違った解釈に向き始めたとしても他を否定することはないと思う。
そこにある情報は不変だけれども、人は変化するものだから途中で言うことが変わっても良くて
常に自分にそれは正しいのかと問うことで対立には至らないと思う。