人間の本質
ライフスタイル
過去最高のメダル数に沸いている平昌オリンピック。
メダルのために。だけが、選手の競技に取り組む理由ではないと思いますが
ここに至るまで、競技最優先で真剣に取り組んできた背景がテレビを通して伝わってきて
メダル獲得に喜ぶ選手を見ると、目頭が熱くなります。
一方で、巧妙という言葉では表現できないレベルになっているドーピング問題。
近頃のオリンピックで話題にならないことはありません。
ウイルスを遺伝子に組み込む遺伝子ドーピングや
未成年期から大量の栄養素を摂取させるステルスドーピング
これらを薬物検査で見抜くことは難しいとされます。
更に、鍼を使った瞬発力と持久力アップの手法は
トレーニングとドーピングの両側で捉えることができ極めてグレーと言えます。
ドーピングの歴史は約150年前が最古とされますが
当時から勝つことへの執着があったことを想像します。
私的には、’88ソウルオリンピック男子100mでベンジョンソン(カナダ)が
カールルイス(アメリカ)を世界新で破った後、ドーピング陽性で世界記録と金メダルを剥奪されたのがその象徴です。
以降、何となくドーピングというものを認識したように思いますが
ドーピングの定義は、案外最近で2003年WADA(世界アンチドーピング規程)によって採択されました。
今、人類の進化の過程において急変の時期と言われています。
それは、科学を駆使したテクノロジーによってもたらされています。
そのスピードは直線的ではなく、指数関数的に進化していて
人工知能の世界的権威、アメリカの未来学者カーツワイルは
科学の進歩が人間の寿命を上回り不死身になるとする寿命の脱出速度という予言をしています。
人間とは。
という問いに、簡単な答えは見つからないと思いますが
“勝ちたい”や“健康でありたい”という欲は
不完全だからこそ湧いてくるもので、そこに人間の本質があるような気がします。
勝っても負けても、元気でもしんどくても
一生懸命で本気な姿は、見ていて素晴らしいに尽きます。