進むべき方向
健康寿命
独りで仕事をしていると、悶々としたり、誰かに相談したくなる問題に遭遇します。
ほとんどの場合、できるだけ自分で考える正解
もしくは正しいと思う方向に導いて暫定的に解決とします。
これが常態化しているので、自分の思考は間違いなく偏っていると感じます。
しかし、人はそもそも自分の意志とは言いながら
誰かや何かによってその内容をコントロールされています。
誰かや何かが、自分の中で信用できるものであれば、簡単に真逆になるかもしれません。
本を読んだり、どうしても必要ならば誰かに教えを乞い
その都度、私の意志は方向を変えながら一定の答えを持ち続けています。
不具合を訴えてくる方たちは、当然その不具合の解消を求めています。
医療が患者ニーズに応えるサービス業ならば、全ての訴えに沿うことが適切です。
だとすると、医療の提供側と受給側の価値観が合って初めて成立するものです。
尊敬する有森裕子さんが、ランナーの痛みに対するアドバイスの一つに
痛みの原因を自分で考え、医者任せにしないという記事が目に留まりました。
走るという意志には、故障するかもしれないというリスクを含んでいて
それも含めて走ることの責任を負うと理解します。
ランナーに限らず、生きている以上、人間には生きる責任があって
歳を重ねるに従って変化する現状を知り、受け入れる理解が必要です。
痛みやつらさを一時的に解消するのは、一方的な医療で
自分のビジョンがあって初めて医療の需給均衡がとれるのだと思います。