相手の真意と勘ぐり
ライフスタイル
“こうれい”の“こう”は?と尋ねられた。
私はリッシンベンにイチしてヒしてイチと応えた。
応えるまでのわずかの間に、“高齢”の“高”を大の大人が解らないはずがない
だから“恒例”のほうだと思った。
漢字という特殊な文字のせいもあるだろうが
日常的に、日本人は相手の意図を“勘ぐる”人種だと私は思う。
勘ぐるは、良い意味で捉えられないが、その意味の中に
本当かどうか、真意かどうか、想像するというのがある。
会話で発する言葉には、その場を取り繕うためであったり
相手を尊重し譲歩したり、真意からかけ離れることがある。
特に日本人はこういった気質を持っていると思う。
昔堅気の頑固おやじが持っていた言わずに解かれ的な風潮が
正しいという余韻があって、それが更に助長しているのだと思う。
だから、余計に発した言葉の裏に真意が隠れていないか想像する。
相手の真意を知っていれば、勘ぐるは簡単だが
解らず勘ぐるのはとても大変な作業になる。
だから、私は相手の口から出た言葉はできるだけ勘ぐらないようにしている。
仮に、真意ではなくても一度言ってしまうと責任が生じ
少なからず本人の意図となると考えるからだ。
その上で、真意は何かを探れると良い。
言いたいことは何でも言ってしまえば簡単だが
世の中そんなに単純ではない。
ただ勘ぐりすぎは、独り迷走に陥り
相手のことを想う余り、自分が苦しみかねないので程々が良い。