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決断の喜び

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有名人がお忍びで行くという飲食店のオーナーが、その人は、おすすめではなく
必ず自分が食べたいものをはっきり注文するという話をしていた。

一見、メニューにないものを頼んだりするのはわがままに感じるが
しかしそこには、大げさな言い方かもしれないが、決断の強い意思がある。

今の世の中は、色んなものを自分で決めることができる社会になっている反面
決めなくても事が進行したりもする。

“これ”とはっきり示すのは、日本人的ではない気もするが
そう言えるように、また言いやすくなってきたということは
そうしたい気持ちが潜在的にあったからだ。

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気持ちを他者に伝えることには、とても大きな意味があると思っていて
単に、意思表示の意味ではなく、裏には責任が生じている。

責任を負うことを嫌がる人が今の世の中には多いと聞くが
そもそも、やる気やモチベーションは、責任によって高まるものではないだろうか。

意思表示と責任は、自分の痕跡を残すということになって
振り返ったとき、少なからず満足を味わえるものになると思う。

決断とは、決めることと断つことなので
決めることで断たれる物事ができるという陰なイメージとは別に
断たれることでシャープになっていくという側面もある。

所詮、自分が進む道は一本なのだから、決断することは喜びのはずだ。

健康の担保

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高齢の患者さんが、昔は川で洗濯をしていたと話していた。

今のご時世、川で洗濯する人はまずいない。

それは、洗濯機があるから。それと川の水は汚いから。

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以前、便利は機能を失うという話をしたことがあるが
綺麗だった川の水は、人間の便利のために綺麗であるが故の機能を失った。

しかし、水質管理を担う人の手によって生活に必要な水は常に綺麗に保たれるようになった。

生まれた時から、蛇口をひねると綺麗な水が出てくることしか知らない世代の人には
そのことが健康を養う担保である認識はないだろう。

身の回りには、知らないうちに誰かが健康を守ってくれているということが多く存在する。

私は、健康の最終的な担保は自分しか持ち得ないと思っていて
こうありたいという健康像がそのバックボーンにあって今があるのだと思っている。

誰かに守られてばかりの健康は脆くて長続きしないのではないかと思う。

それにしても、川での洗濯の話しを笑ってできる
生死の間を生き抜いてきた人の器は大きい。

左回旋

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人の身体も自然の一部とする考え方の東洋医学。

自然哲学における陰と陽、また、人の身体を構成する五臓六腑は
人の身体に当てはめることができ、その調和が健康に関わるとします。

何だかわかるようで、現実的な表現ではないので理解できないような。。

しかし、考えてみれば人を取り巻く環境は国や地域が変わると随分違うものです。

病気や症状には地域の色が出ることは珍しいことではありません。
つまり、その土地の気候風土や飲食物が影響することの証しと言えます。

現代医学はこうした考え方への依存は少ないと思われますが
自然と身体を現代医学で表現できそうなことは存在します。

普段、施術前後の評価で使うアライメント。
全ての人がそうではありませんが、圧倒的に上半身肩周りは左回旋が優位です。

決定づける原因はありませんが、右利きが多いというのはよく言われることです。

自然界で左に回るものと言えば、地球の自転。
約4万キロを24時間で1周するので、1秒で約460メートル進んでいることになります。

台風は北半球では左巻きと決まっています。
(南半球は右巻きなので、南半球の人たちは右回旋優位なのか!?)

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台風に限らず、様々な気象状況が自転の影響によって左右されることを考えると
その上で生活する人間に1秒約460メートルの影響はあってもおかしくないのではと思います。

アライメント不良で症状が出現しなければ問題ないのでしょうが
同じマルアライメント(構造上の異常)であっても違う症状が現れたり
症状自体現れない場合があったりするのは
自然の計り知れないスケールの大きさが成す業と考えることができるかもしれません。

 

必要とされる存在

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僕は色んな企業などの経営者的な立場にある人の
ドキュメンタリー番組を良く見ます。

TVで取り上げられるほどの人たちなので
客観的に成功者と世の中では言うのだと思います。

彼らが決まって言うのは“目の前のお客様のため”といったニュアンスの言葉です。

この言葉を聞いた当初、僕には偽善に聞こえていました。

所詮、ビジネスで利益を上げるため
対外的なメディア戦略としての発言だと感じたからです。

話は変わりますが、我が子が大きくなるにつれて
自分で自分のことができるようになり
そこに投資するエネルギーや時間が少なくなってきます。

生まれたての可愛さ全開、ただそこにいるだけで愛おしく感じた存在から
自己主張をはじめ、親の意に反する意思決定をするようになると小生意気に思えたりしますが
手を煩わせることが少なくなり、せいせい感じることもしばしばです。

しかし、冷静に考えると自分を必要としないのは、寂しくもあります。
子どもに必要とされることが親のモチベーションでもあるからです。

必要とされ、それに応えようとすることは
親として自分の存在が絶対的であることを認識でき
仕方ないと口では言いながら、心の中では喜びを感じていたりします。

どこかに下心や利己的発想があれば、この関係は続かなくなってしまうでしょう。

成功者である経営者たちの言葉は確かなもので
その内容に嘘偽りがないのは、企業そのものや
その事業の存続が何よりの証しだと感じるようになりました。

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鍼灸師として、患者さんのためにできることは
治療だけではないと常々思っていますが
まずは確実に症状を改善させることです。

そのための準備は日々継続しなければならないし
何をしてもやり過ぎということはないと思います。

 

フェアプレー

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先日、引退を表明した競泳の北島選手。

引退時の後輩選手のコメントにもあったように
躍進した競泳界を担った象徴的な選手だった。

比較的短命と言われる競泳界で3度のオリンピックに出場し
日本人唯一の2種目2連覇をはじめとする好成績の裏には
一言では語れない努力や葛藤や苦しみがあったと想像できるし
競泳と言えば北島の代名詞にもなったのではないかと思う。

引退会見やニュースに出ていた北島選手の
清々しい気持ちというコメントは表情から充分伺うことができたし
また、200Mのレース直後の悔しさを感じる様子からも
やりきった感は見ていて存分に伝わってきた。

しかし、その前の100Mのレース後の悔しさを感じる様子は
同じ悔しさでも似て非なるものに見えた。

本命がこちらだったということなのだろうが
準決勝で派遣標準タイムをクリアしていただけに
悔しさの表現はダイレクトに伝わってきた。

それ故に、全レース後の潔さになったのだと思う。

100Mのレース後、北島をなぜオリンピックへ出場させないという抗議が
水連に殺到の見出しを見たが、タイム種目はその結果が明白だし
それによってオリンピック出場が決まったとしても本人が喜ぶはずがない。

フェアプレーは見ていて気持ちがいい。

それは勝ちたいことが前提な上で、誤った勝ちや自分有利な一度決定されたジャッジが
自分にとって不利益になる指摘を自らが行うという精神があるからだ。

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正々堂々の堂々には、威厳があって立派な様を意味するとある。

負けても威厳があって立派に見えるのは、フェアプレーに徹したことが見てわかるからだ。

運動会を控え、クラスで4番目のタイムだったという息子に
速く走るための秘策を伝授したところ、できない。。という。

ルールに沿った本当にフェアな秘策だったのだが
陸上畑の父の助言は、彼にとってフェアでないのかもしれない。

北島選手、お疲れ様でした。

頑張れ。息子。

 

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