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予防医学

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血液の流れを良くするを謳い文句にする健康アイテムは多い。

血流が良くなるとなぜ健康なのか。普段血流が悪いからだ。
なぜ悪いのか。動かなければ停滞するからだ。

アメリカの研究チームが、運動によって脳の萎縮や認知機能の低下を
食い止められる可能性があるという研究結果を発表した。

特に、中年期以降の運動は血流を促進し脳に酸素を送るため
萎縮、認知力の予防になるかもしれないとしている。

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本来、動物には本能行動(運動)が備わっているが
人間は群を抜いて少ない。というよりないと言った方が良い。

本能行動とは、その目的を知る知らないにかかわらず行う生得的行動を
生存に適したかたちで行うことで、人間は行動に損得や理性が深く関与するので
本能からかけ離れていると思う。

本能の部分を不合理として扱うようになると
能動的な運動(楽しんだり目的意識を持つスポーツなど)以外は
無駄な行為になり、科学、文明の力がそれを助長する。

江戸時代に刊行された儒学者、貝原益軒の最後の著書『養生訓』には
運動の大切さが何度も記され、病気を治すのは薬ではなく養生という
予防法であると述べている。

江戸幕府の征夷大将軍を世襲した徳川家の平均寿命が49.6歳
貝原益軒は『養生訓』を刊行した1713年の翌年85歳で逝去しているので
自ら養生を取り入れた生活が説得力を増す。

病気や老いを歳のせいにするのは簡単だし諦めも付くかもしれない。

予防医学は認知度を増し、有名人のカミングアウトなどで早期検査を
受ける人も増えたと聞くが、本当の予防は目の前にあるといつも思ってしまう。

気と科学

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鍼灸を東洋医学の概念で説明すると"気"という言葉が必ず出る。

気を科学的な目に見える形で説明できないので
胡散臭がられたり鍼灸は効かないなどと言われることがある。

産業が飛躍的に進歩し生産性が高まり
インターネットをはじめとする情報化も驚くほど加速している。

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データは何が正しいのか、その方向性を明確にし
不要な時間や生産物を作らない。

一方で誤ったデータは物事を誤った方向へ向かわせる。

どれだけビッグデータをもとに解を求めても
コンピュータに情報を提供するのは"人"だ。

出てくる結果が正しいものだとしても、そこに情緒や感性は含まれていない。

今後、技術が発達して人の人たる独特な風味を表現できる
何かが作られるかもしれないが
人であるが故の温度みたいなものを感じることができるのは
最後は人でなければできないと思うしそうであって欲しい。

気の正体は、今のところ、この人が持つ
温度や独特な風味かもしれないと思っている。

これが科学的に証明することができて目に見える形で
表現できる日が来るかもしれない。

そうすれば鍼灸は誰にでも信憑性のあるものになるだろうが
何となくそれは望まない。

相手の真意と勘ぐり

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“こうれい”の“こう”は?と尋ねられた。
私はリッシンベンにイチしてヒしてイチと応えた。

応えるまでのわずかの間に、“高齢”の“高”を大の大人が解らないはずがない
だから“恒例”のほうだと思った。

漢字という特殊な文字のせいもあるだろうが
日常的に、日本人は相手の意図を“勘ぐる”人種だと私は思う。

勘ぐるは、良い意味で捉えられないが、その意味の中に 
本当かどうか、真意かどうか、想像するというのがある。

会話で発する言葉には、その場を取り繕うためであったり
相手を尊重し譲歩したり、真意からかけ離れることがある。

特に日本人はこういった気質を持っていると思う。

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昔堅気の頑固おやじが持っていた言わずに解かれ的な風潮が
正しいという余韻があって、それが更に助長しているのだと思う。

だから、余計に発した言葉の裏に真意が隠れていないか想像する。

相手の真意を知っていれば、勘ぐるは簡単だが
解らず勘ぐるのはとても大変な作業になる。

だから、私は相手の口から出た言葉はできるだけ勘ぐらないようにしている。

仮に、真意ではなくても一度言ってしまうと責任が生じ
少なからず本人の意図となると考えるからだ。

その上で、真意は何かを探れると良い。

言いたいことは何でも言ってしまえば簡単だが
世の中そんなに単純ではない。

ただ勘ぐりすぎは、独り迷走に陥り
相手のことを想う余り、自分が苦しみかねないので程々が良い。

 

 

“治す”と“治る”

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病気やケガを“治す”という言い方があるが私は好きではない。
結論から言うと“治る”が正しいと思っているからだ。

病気やケガと言っても色んな状態があって
目に見えるものから客観的に全くわからないものもある。

しかし、その対処法や症状を和らげるための方法が確立されたり
色んな方法論があるものは身近に感じることができ
少し乱暴な言い方だが、体がしんどいことに対して不安が少ないと思う。

一方、しんどいことへの対応が不鮮明な症状は不安が大きい。

私たちの仕事はこうした大小の不安に対して
色んな引き出しを提示して一緒にやってみることだと思っている。

かつ、それらに序列を設け優先順位が付けれればもっと良いと思う。

肩こりと言っても何が原因の肩こりかで対処法が変わってくるということだ。

しかし、最も大切なのは目の前の引き出しを開けるかどうか
また自分が望むのはどんな状態かということを認識できているか
更にそれを遂行できるかということだ。

だから、最後のひと押しは他人ではなく本人によるものだと思うから
“治る”という表現が正しいと思う。

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鍼灸師として身勝手で無責任な表現かもしれないが
そこが症状の本質を左右する一線だと思う。

これで治療は終わりですという線は
我々の仕事ではなかなか引くことができないのだが
昨日それができる患者さんがあった。

とても清々しく心から嬉しかった。

そして間違いなく最後のひと押しをしたのはご本人だった。

健康とストレス

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私は生涯健康でいたいと思っている。
世の中の全ての人がそうだと思う。

健康とは「病気ではない、弱っていないなどということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも
すべてが満たされた状態にあること」だとWHOは定義している。

私はもっとシンプルに「自分がしたいことができる」だと思う。

したいことは人それぞれ違うので、人によって健康の姿は違うとも思っていて
だから健康のための絶対的条件はない。

健康な姿を100とすると、私の定義する健康は減点要素になりかねない。

お酒を飲む、たばこを吸う、腹いっぱい食べるなどは自分が望んでしているにも関わらず
100を90や80にしている可能性がある。

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逆に健康のために、本意ではないのに野菜しか食べなかったり
観たいテレビを我慢して床に就く人もいるだろう。

結局、したいことの裏にはリスクや足かせが存在して
その裏の存在の認識は、したいことへと進むスピードを鈍らせてしまうのだけども
それが実は健康のカギを握っている。

私は少しストレスがかかったほうが、人はアクセルを強く踏めるし
病気になりにくい身体が持てると思っている。

この少しのストレスがしたいことへの意欲や力を後押しする
原動になっているような気がする。

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