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自己解釈への疑問

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私は暑いよりも寒いほうが好きで、やっと冬らしくなったと感じている。

勝手な思い込みかもしれないが、人は寒いと早く帰宅したくなるようで
夜の道でいつもより車や人通りが少なく感じると一層寒さを実感する。

寒いという表現も、私のようにそれを好む人とそうではない人がいる訳だが
同じ表現を違って解釈するということは日常で結構あると思う。

それは、自分の興味であったり好みであったり知識を持ち得ていたり
解釈は多かれ少なかれそういった方向に導かれる傾向にあって
その濃度が濃いほど、他と違った方向に向いてしまうのではないかと思う。

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沖縄の人の寒いは北海道の人は暖かいかもしれないということだ。

解釈には色んな見解があって良いと思う。
ただ人に何かを伝えたいとき、思った解釈をしてもらえないととても残念だ。

私は色んな表現をして伝えてもこちらの思う理解に至らないとき
そのことに疑問をもったら尋ねて欲しいという気持ちをもって一線を引く。

逆に自分が他者の思う理解に至らないことも必ずあると思う。

予防策は常に自分の意見、見解、解釈に疑問を持つことではないかと思う。
そうすればある表現が違った解釈に向き始めたとしても他を否定することはないと思う。

そこにある情報は不変だけれども、人は変化するものだから途中で言うことが変わっても良くて
常に自分にそれは正しいのかと問うことで対立には至らないと思う。

 

 

精神を安定させる

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子どもの頃、親が演歌を心地よく聞いている意味が解らなかったが
今、恥ずかしながら違和感なく演歌を聞くことができる。

趣味嗜好は年齢によってさまざまだが子どもの頃興味がなかったのに
今はあるものにニュースがある。

新聞、インターネットなどを通して見ない日はない。

最近悪いニュースばかり聞くなんてそんなフレーズこそよく聞くが
確かに悪いニュースばかりに注目がいく。

遠くの悪いニュースが自分に直接影響する訳ではないのだが
人が生きていくということは安定しないことだから
安定的に生きるために回避できることは事前に避けたり
対策を講じたりするするために悪い情報に対するアンテナが敏感に張られているのだと思う。

しかしオギャァと生まれて寿命をまっとうするその姿は大きく変化する。

私は安定的に生きるには能動的な肉体の変化と振幅の少ない精神が必要だと思う。

肉体は30歳辺りをピークに必ず衰え始めるので
医療、介護に限らず全ての人に日常的な運動は必須命題だ。

先のラグビーワールドカップで躍進した日本代表の選手たちは
早朝から夜遅くまで肉体を鍛え上げたということは多くの人が耳にしたと思う。

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その中でキック前独特のポーズで人気者になった五郎丸選手は
あのルーティンができるまで試行錯誤している。

同じ動きを繰り返すことでキックの安定性を高めるのだというが
あれはキックの安定というより精神の安定だと思う。

本人にしかわからない微妙な動きを毎回忠実に再現していたのだと思うが
これが振幅の少ない精神の作り方だと思う。

毎日繰り返される生活そのものが精神を作っているということになるし
それを意識して再現するようになると精神が安定してくるのだと思う。

もし不調に陥った場合でもあえて同じ動きをすることで
早く良い状態に戻れるのではないだろうか。

おもてなしの意味

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日曜日第1回目の岡山マラソンが盛況に終わった。

レース後のケアに来院された方々は当時の状況を話されたり
完走者に与えられる備前焼のメダルを誇らしげに見せてくれる方もあった。

今までランナーとして参加するばかりの市民マラソンだったが
今回初めて沿道に出てランナーの応援をした。

1万4千人全てを見届けるのに3時間を要し
走るのもつらいが同じ場に立ち続け声を出し続けるのもつらいことを知った。

しかし沿道には大勢応援の人がいて
新聞にあったようにランナーの最も高い評価がこの沿道の人たちで
最初から最後まで前を通るランナーに懸命に声を出して発破をかけていた。

これは正直想定外で社会一般で言われる岡山人が消極的な県民性であることを信用し
何となく肌で感じていた私は良い方向で驚いたし
新聞で評価される前にこの結果は想像できた。

市民マラソンは斜に捉えると地方経済の活性化だが
現地であの臨場感のなかゴールへ向かう無垢なエネルギーを浴びると
現実的な経済効果とか損得勘定ではなく
純粋に岡山の地へ走るために出向いたくださった方々に感謝の念が込み上げてきた。

オリンピックの東京招致の際、流行語になった“おもてなし”は
いかに日本人が互いに助けあい、迎える来客のことを大切にするかを示すそうだが
私は何かへりくだった表現の中に媚を売る、胡麻を擦るといった感覚をもつ。

発見

しかし誰かのために一所懸命に何かを提供した結果“おもてなし”は
自分の気付かなかったことの発見に変わるのかもしれない。

 

 

 

計れないものを計る

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必要とする人のニーズに応えようとする動きは今の世の中では当たり前になっていて
あらゆる業種でその実現は組織存続の死活問題だと思うし
もっと先のニーズを先取りしたり想像して提供することに力を注いでいる。

こんなものがあったらいいなと思う前に便利なものが日常にゴロゴロしていて
便利だと気付く前に淡々と使っている、なんてことが普通に起こっている。

見えないものが見えるようになる。
ドラえもんの四次元ポケットから出てくる道具ではないが
情報の可視化は色んな分野で行われている。

顕微鏡

筋肉の硬さを計る筋硬度計。テレビの健康番組などでたまに出てくる。
文字通り筋肉の硬さを数字で表す。
実は古くは1950年頃には存在していたらしいが一部の研究者によってのみで
一般の人が知るようになったのはまだ日が浅い。

肩こりを訴える人に何らかの施術をしてその前後で測定する。
当然施術後の数字を見てオォ~っとなる。

客観的な指標は説得力があるし納得できる。
しかし肩こりの人が求めるのは下がった数字ではなくほぐれた実感と楽になったという事実だ。

下がった数字に周りが反応するあまり本当は実感がなくても
楽になったと言ってしまう同調圧力という心理がはたらくこともある。

人は長く生きていると痛みやしんどい経験を必ずしている。
本当につらいとき人は声を出せない。

失礼な話だが痛いしんどい言っている時は正直まだまだいける。

痛みなどの感覚を定量で表すのにVAS(Visual Analogue Scale)というのがあり
普段これを評価によく使う。

つらくてしんどくて何もできない状態を10、全く何ともありませんが0といった具合で
今この辺りですと指さしてもらう。

実はこれが自身の経験上の相対的な評価になっていて
今つらくてしんどくてたまらないが頭の中を駆け巡っているのだが
忘れてしまっていたもっとしんどいを引っ張り出してくることで
あっそんなでもないと気付く。

計れないものは目に見えないだけで本当は計れてしまうのかもしれない。

子どもの自立を育てる

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スポーツの秋真っ只中。
昨日は体操を習う息子の大会に行った。

練習と違う場所だったり人から見られたりは緊張感が増し
それが良いほうへ作用すると思った以上の力が発揮されることがある。

逆に上手くしなければといった内向きの力が強かったりすれば
練習で出来ていたことができなっかったりする。

小学校低学年の息子レベルでは一般的に技術の劇的な向上はないが
自意識の高まりでメリハリのある動きになる。

練習という努力の積み重ねを吐き出す場は絶対必要だ。

なぜならそこから上手くなりたいとか悔しいといった
その後の成長に繋がる経験を得ることができるからだ。

向上心が生まれると少々の叱責はむしろ背中を押す方向に働き
具体的な指導は目標が鮮明になり、より早い成長が望めると私は思う。

逆にそこに至るまでは、できる限り良いところを見つけて褒めなければならないと思う。

私は習い事で親が頑張ることはこの「褒めること」と
「安全で時間を守った送迎」だけだと思っているし実際意識的にそうするよう努めている。

親が技術的なことに口を出したり指導者の負の部分を子どもに伝え始めると
子どもは指導者より親を慕うようになり教える側と教えられる側の関係が成立しなくなる。
(学校の先生を昔ほど慕わなくなったのもこれが一つの原因だと思う)

何かを教える教えられるには信頼関係が必ず必要で
信頼できない人からの教えは実現できるはずがないし学びを奪うことになる。

教えることで自立を促すなら、自立とは
「考える力」「選ぶ力」「進む力」だと私は思っているので
親の偏見や先入観は子どもには全く関係ないし必要ない。

子ども 夕日

自立のために背中を押し続ける。

これは助言やアドバイスではないと思う。

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