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未練のない引退

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プロ野球中日ドラゴンズの山本投手が昨日
数々の最年長記録を樹立し現役を引退した。

Old baseball, glove, and bat on field with base and outfield in background.

公式戦最終試合の先発として打者一人限定の当番だった。

僕はプロ野球の熱狂的なファンではないがスポーツ全般
観ることはとても好きで、現役最年長投手の引退試合は興味深かった。

先日の引退会見で、技術は今がピーク
体力があれば20勝できると言っていたのが印象的だった。

身体の衰えを感じながらそれを補う技術を日々研鑚し続けることができたから
これまで一線でやってこれたのだろうと思う。

しかし、心と体に隔たりがあることはとても苦痛である。

そう思うと日常の時間のほとんどを野球に注いでいたと想像できるし
その姿勢から元気や勇気をもらえる。

最後のバッターを内野ゴロに打ち取った後の涙はとても感動した。

相手の広島カープはCSを賭けた最終戦、是が非でも勝ちに行く試合なので情けはなかったはず。

引退宣言するということは、それまで時間をかけて決断に至っているので
力のベクトルは上昇するとは考えにくく並、またはそれ以下だと僕は想像する。

だからこそ最後のバッターには何が何でもヒットを打ってもらいたかった。

本当に好きな野球の最後はコテンパンにやられたほうが後ろ髪引かれず
やり切った感を得て引退できると思うからだ。

打ち取ってしまった山本投手の脳裏にもう少しできるかも、、
という思いがよぎったとしたら気の毒に思う。

完封負けしCSを逃した広島の最終戦の結果は一人目の打者で決まっていたように感じる。

山本投手の長年の功績をたたえ心からお疲れさまと言いたい。

鍼灸師像

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開院して12年目であるが度々触れているように
鍼灸の世界はいわゆる一般社会から少し離れていると思っている。

受けたことがある人の少なさや効果の認知度などからそう思う。

僕自身は鍼灸師になるずっと前から患者歴が長くあるので
元々それほど遠い存在ではなかった。

だからこそ俯瞰視しようと努めなければ本当の患者ニーズに応えれないと思う。

鍼灸に対して興味が全くない人(世の中の殆どだと思うが)は別として
興味はあるが受けたことがない人の足かせになっている最大の原因は
鍼は痛く灸は熱いだと言われている。

いくら痛くない熱くないと言っても潜在意識は実際経験しなければなくならないだろう。

このライオンはきちんと調教されてますので絶対襲ってきません。
さぁ触ってみて下さいと言われても僕は絶対触れないと思う。

例えが極端だがそんな感じに違いない。

では興味の部分を考えた時、当然今ある不快な症状を楽にしてくれるかも…が最優先で
知らない世界が故にその期待が膨らむ。
例えば1年患った痛みを一発で取り除いてくれるなどの妄想(期待度が高いと仮定してあえて)。

科学的な裏付けに基づく西洋医学は保険制度や認知度から
患者が受け慣れしていて検査、診断、治療が想像できてしまうのかもしれない。

僕に鍼灸受鍼歴がなく興味を持った人だとしたら
鍼灸師とは白髪頭で口顎に長い髭を蓄えたお爺さんをイメージする。
そして怠惰な生活を見透かし強面で改めるよう叱る。

鍼灸師像

鍼灸の効果ではなく鍼灸師の人物像を想像してしまったのだが
知らないおじさんに叱られる環境は昔と比べて随分少なくなった。
ましてや大人が誰かに叱られる状況は想像し難い。

人にはわかってはいるが止められない惰性的な面があって
それを注意して改めさせたり気付かせることができるのは家族や身内ではなく
全く所縁のない誰かだったりするし、かなり効果的だったりする。

僕の勝手な想像はひょっとすると鍼灸に興味のある人が少なからず見えないところに持っていて
注意されたり指摘されたいのかもしれないと思った。

白髪頭で長い髭を蓄えるにはまだまだだし、そこを目指しているわけではないが
注意指摘が患者さんのためになるならば年相応の態度でお伝えしたい。

 

 

共有の意味

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日本人初となる世界七大陸最高峰の単独無酸素登頂に挑戦する
登山家栗城史多さんが、世界最高峰エベレストへ5度目の挑戦をしている。

エベレスト

冒険だけが冒険ではなく見えない山に向かって登ることすべてを冒険と称し
それを共有すること、自身の挑戦をインターネットを使って中継することで
一人でも多くの人の背中を押すことを目的とし何度も挑戦を続けている。

生きるか死ぬかの境地は究極の恐怖だと思う。
更にそれを一人で味わうとなると自ら進んでというわけにはいかない。

それにあえて挑むには登山家にしかわからない精神があるのだろうが
怖さや苦しみは一人で抱え込むより誰かと分かち合ったほうが絶対に負担が少ない。

そこへ行った人しかわからない生死の狭間の経験を共有すると掲げての
インターネット中継を試みている栗城さんだが
実際その場にいるのは一人でも映像を通じて誰かがそばにいると感じるのは
恐怖や苦しみの荷が少し軽くなるのではないかと思う。

普段来院される患者さんは体調の不調を話される。
当然こちらが欲しい情報なので時系列やその質などについて尋ねることになるが
なぜ不調なのか話して行くうちに紐説かれていく。

話すだけで回復する訳ではないと思うが
聞いてもらうだけで楽になるのではなかろうか。

恐怖や苦しみを自分以外の誰かにわかってもらえたと感じるとき
少し心の痞えが取れる。

怖い苦しいとき誰かに伝えるべきだが伝える相手がキャッチしようとしていなければ
投げてはならない。

投げて受けてもらって初めて共有が成立する。

105歳陸上世界新記録!!

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105歳陸上100Mと砲丸投げ2種目で世界新記録。

105歳世界新

過去にこのクラスでの公式記録がないため当然ではあるが
暗いニュースが目立つ近頃、これを聞いて元気をもらった人も多いと思う。

歳を重ねるにつれて出来ることに対する抑制が強くなる。

やってみなければわからないが、その後の想像をすると
ブレーキをかけてしまい、できていたかもしれないことをやる前から諦めてしまう。

これは健全なリスク回避能力であるが、その境界線を誤ると何もできなくなるし
恐らく口から出てくる言葉は言い訳ばかり聞こえる。

周りの人も当然本人は達成感や幸福感を味わうことができない。

超高齢化社会を迎えようとしている日本のひとりの高齢者が
日常とする挑戦ひとつで多くの人を勇気付けられることを思うと
少々のリスクは何をするにも付きまとうもので
だからこそやり甲斐や成功への意欲が湧いてくるのである。

目標タイムに届かず更に挑戦するという弁を聞くと驚かされ感動するが
そういった感情を持った自分の固定観念を失礼に思う。

もっともっと挑戦して欲しい。

偏ることの危険性

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前回の感覚のところで示したように触ることで得られる情報は多い。
最も狭義でこれを体性感覚と呼ぶ。

普通は何かに触れるとその情報は感覚神経(求心性)を伝い脳(中枢)に送られ
必要な動きを運動神経(遠心性)から筋などの器官へ送る。(脳を介さない反射と呼ばれるものもある)

だから対象に対する知識や経験があれば見なくても触っただけでそれが何かわかる。
たまにテレビでやっている箱の中身はなんでしょうである。

人はこの他に視覚、聴覚、味覚、嗅覚、内臓感覚(空腹など)、平衡感覚などを持つ。

何が欠けても生活に支障があるが、今の世の中はあまりにも視覚に頼り過ぎていて
他の感覚とくに触覚と味覚が鈍くなっている気がする。

こどもの発熱を体温計の数字ではなく
額を触ることでわかる人がどのくらいいるだろう。

食べ物の消費期限をパッケージの表記ではなく
自分の舌で感じれる人はどのくらいいるだろう。

数字は万人が共通して理解できるスケールだが
それだけで白黒決まるものばかりではない。

しかし大抵の要求はは明確な表現による理解と認識ではなかろうか。

夏にスーパーの果物売り場でスイカに貼られた糖度を表すシールを見て違和感を感じた。
美味いに越したことはないがそこまでする必要があるのかと思った。

スイカ

売り物の切ったスイカを指でグイグイ押すのはどうかと思うが
身の詰まり方を手にとって感じるのはあり!?だと思う。
(賛否あると思うがご勘弁願いたい)

僕は美味い物を見極める能力も生きる力だと思う。
仮に美味そうに見えて買ったスイカが不味くても
自分の見る目のなさに笑える人でありたい。

人の機能は使わなければ衰える。

あるものに特化して結果を求め過ぎると
ここぞという時に誤った選択をしかねないように思えてならない。

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