大義前提の個性
ライフスタイル
今は個性を大事にする世の中だと言います。
高度成長期の右向け右を望ましいとする時代は熟したので
乱暴ですが、ある枠の外も個と認めましょうといった感じと捉えています。
登校班で通学する息子が、仲良しだけで固まって登校していたらしく問題になりました。
集団登校の大義は安全だと思っています。
ルールならば守られるべきである。
登校班での通学に従えない理由があっても守るべきである、という意見と
集団であれば問題ない、という2つの意見が我が家では出ました。
問題として耳に入ったことはありませんが
これまで遅刻におとがめはなく、安全を大義とすると
遅刻も問題提起されなければおかしいのではないかと思います。
(やらない人間の屁理屈と捉えられても仕方ありませんが。。)
前提としてルールは当然守られるべきなのですが
個性を考えるのであれば、何が最も重要なのか。を安定的に見る必要があります。
(決してルールを守らないことの肯定ではありません。)
大義前提の個性でなければならないということです。
私が扱う大義は健康です。
個性は、それぞれが考え求める自分の生き方です。
普段、不調を訴える方に無力だと感じることが多いです。
どんなに持ち得るエネルギーを投じても
施術をおこなっている時間はその人の生活の中ではほんの一瞬だからです。
言い訳でも手抜きでもなく
施術より自分で出来ることの方が圧倒的に多いと感じます。
そのために自分で出来ることをお伝えしています。
何が不調改善に最も重要なのか。
健康前提の生き方とは、治してもらう。ではなく
最後は自分で治す。という視点ではないかと考えています。