非日常は日常の礎の上に成り立つ
ライフスタイル
先日、テレビを見ていると英会話を習う高齢男性が
「高齢者は日々をいかに楽しく過ごすか」
そのために英会話を学び、とても楽しいと言っていた。
発言に嘘はなくこの男性の言っていることは正しいと思った。
一方で、違和感もあった。
英語を話すことは、多様化が進む世の中ではあるが日常的ではない。
だから、英会話を学ぶこと=非日常となり
楽しいと感じられるのは非日常ということになる。
一般に非日常が楽しいという風潮は少なからず多いと感じる。
昔、幸不幸は自分、成功失敗は他者が決めるもの
と誰かが言っていた。
この、楽しいを幸福とすると非日常が幸福
極端かもしれないが日常は不幸と解釈できる。
アスリートが結果を出すために、苦しい練習や余暇を犠牲にすることは
考えるほどにしんどいだけだが、陸上で言えば自己ベストが出たとき全てが報われる。
厳しい練習が日常で、自己ベストが出るときが非日常
非日常は日常の礎の上に成り立つ。
日々、時間に追われイライラしたり、やることを見失い途方に暮れているとすれば
その日常は、恐らく見えていない、少し先の非日常の支えになっている。
まだ見えていない、目の前の非日常を少し感じれたり
見える位置に移動することができれば、毎日を充実と感じれると思う。