内側の医療
健康寿命
2017年度国民医療費43兆超過去最高のニュースがありました。
私が専門学校に通っていたころ、確か約30兆円だったと記憶していますが
それから15年、年約1兆円弱ずつ増加していることになり
今後も増加の一途が予想され、団塊世代が75歳以上になる2025年問題は周知の通りです。
総務省情報通信白書によると、2017年PC,スマートフォン等のモバイル端末の世帯保有率は94.8%
ほとんどの家庭でインターネットが利用されていると言えます。
体の不調は今は簡単にインターネットで調べることができます。
内容の信憑性はともかく、自分の体を一定評価できます。
また、いつの時代も健康はブームになる素材なので
テレビをはじめ様々な体を扱う情報は需給されます。
だから、痛み不具合が生じると、それらの知識範疇で自己診断してしまう
ということは今は日常的です。
では、こうした情報が即入手できなかった頃はというと
医療機関を受診するまでの間は、ひたすら我慢もしくは
自分なりに痛み不具合と向き合い考えていたと想像します。
簡単に情報が得られる今の世の中は
この作業が完全に割愛され症状の理解が内側から起こりません。
ある痛いという症状は、医学的に診断がついたとすれば
それに対する処方があれば一定の改善は期待できます。
今の医療はこれを指し、これは外側からのアプローチで
つまり本人ではない第三者の働きかけによる症状の改善です。
内側からの理解とは、なぜ痛みがそこに生じたかという逆算の理解です。
医療のコンビニ受診は一時社会問題になりましたが
内側の理解なしに、完全に他者依存すると自浄作用を失います。
本来、ヒトが持つ自己免疫力や回復の早さは
単に投薬や他者による矯正ではなく、自身の中から湧いてくる力です。
客観的なスケールに乏しいとされる東洋医学の診断で重んじるのは観察することです。
私は単に動きや身体所見そのものはもちろんですが
見えていない生活背景も感じるように心がけています。
痛み不具合の原因が一つであると推察できることはほとんどなく
普段の何気ない習慣の見直しや動作の癖を意識することで
症状の改善に繋がることはあると確信しているからです。
自分のことはわかっているようで全然知り得ていないというのが印象で
痛み不具合が生じたとき、まず自分で何をするとどうなるか?
を問うてみると案外改善の方向に向かっていきます。