命のカギは誰が握るか?
健康寿命
数日前の新聞記事です。
作家、橋田寿賀子さんの考える安楽死についてです。
橋田さんは今年、安楽死についての出版もしています。
私は、医療と介護のどちらにも触れる立場で日々過ごしているので
安楽死に限らず、死について考えること、考えさせられることは多いです。
人は必ず死にます。
極論ですが、産まれた瞬間から死に向かって走ります。
しかし、それを早い段階でわかっている人は少なく
死ぬ直前まで気付かない人が圧倒的に多いと感じます。
死は、自分には当てはまらない人間の話しで
不自由なく元気に日々を過ごす中では想像しにくいし
想像したとしても、自分の今が途絶えることを考えると
耐えがたい恐怖や悲しみに至るので避けているのだと思います。
人は必ず死にますが、周囲は死なないよう手を尽くします。
意思疎通が図れてもそうでなくても
目の前の命を助けることに全力を尽くします。
つまり、自分の命のカギを他人が握ることになります。
人の最期はほとんどの場合そうなります。
自分という主体であり続けた最期、自分以外にその存続を委ねます。
自分で命のスイッチを切るということは
生きることに向き合い、それを止めて良いと腹を決めることです。
自分の人生の最期は自分で決める、という選択肢があっても良いのではないか
と橋田さんは訴えています。
人の死の最前線と思われている医療では、命のスイッチを切ることができません。
(現在、スイスは世界で唯一外国人の安楽死を認め、他ヨーロッパ数国、アメリカ4州
では安楽死が合法化されています。)
命ではなく、人を救う医療とは。
という問いかけなのだと思います。