計れないものを計る
ライフスタイル
必要とする人のニーズに応えようとする動きは今の世の中では当たり前になっていて
あらゆる業種でその実現は組織存続の死活問題だと思うし
もっと先のニーズを先取りしたり想像して提供することに力を注いでいる。
こんなものがあったらいいなと思う前に便利なものが日常にゴロゴロしていて
便利だと気付く前に淡々と使っている、なんてことが普通に起こっている。
見えないものが見えるようになる。
ドラえもんの四次元ポケットから出てくる道具ではないが
情報の可視化は色んな分野で行われている。
筋肉の硬さを計る筋硬度計。テレビの健康番組などでたまに出てくる。
文字通り筋肉の硬さを数字で表す。
実は古くは1950年頃には存在していたらしいが一部の研究者によってのみで
一般の人が知るようになったのはまだ日が浅い。
肩こりを訴える人に何らかの施術をしてその前後で測定する。
当然施術後の数字を見てオォ~っとなる。
客観的な指標は説得力があるし納得できる。
しかし肩こりの人が求めるのは下がった数字ではなくほぐれた実感と楽になったという事実だ。
下がった数字に周りが反応するあまり本当は実感がなくても
楽になったと言ってしまう同調圧力という心理がはたらくこともある。
人は長く生きていると痛みやしんどい経験を必ずしている。
本当につらいとき人は声を出せない。
失礼な話だが痛いしんどい言っている時は正直まだまだいける。
痛みなどの感覚を定量で表すのにVAS(Visual Analogue Scale)というのがあり
普段これを評価によく使う。
つらくてしんどくて何もできない状態を10、全く何ともありませんが0といった具合で
今この辺りですと指さしてもらう。
実はこれが自身の経験上の相対的な評価になっていて
今つらくてしんどくてたまらないが頭の中を駆け巡っているのだが
忘れてしまっていたもっとしんどいを引っ張り出してくることで
あっそんなでもないと気付く。
計れないものは目に見えないだけで本当は計れてしまうのかもしれない。